2010年



ーー−2/2−ーー やり直しの椅子


 
画像はアームチェアCat(編み座版)の塗装途中のもの。冬場は気温が低く、塗料が乾きにくいので、陽差しが入って暖かい自宅の空き部屋を使って塗装をすることもある。左は注文品、右は商品在庫として作った物。注文品の方は、お客様のご指定で2センチ高く作ってある。

 この注文品、実は高さの指定を忘れて、標準寸法で作ってしまった。完成間近になってそれに気が付き、新たに作り直した。標準より低くという指定なら、脚を切れば済むが、高くということなら、脚を継ぎ足すわけにもいかないから、作り直すしかない。

 自分でゼロからつくる仕事だから、やり直しは別に問題無い。標準寸法で作ってしまった物は、別の買い手を探せば良い。作り直しで納期が遅れる点では、お客様に対して申し訳ないが、厳密に納期を決められた注文ではないから、大目に見て頂けると思う。正直に事情を説明したが、苦情はなかった。

 私の元に家具製作の依頼を下さるお客様は、おしなべて鷹揚である。一品物の制作という仕事の性格を、良く理解しておられるのだろう。ネット通販が横行しているこの世の中で、時間の進み方が違っているような家具工房の仕事に対して、早くしろと急かす人もいない。それに甘えてはいけないが、結果的には賢明なお客様たちであり、良い品物を手に入れるすべを心得ておられる方々だと思う。

 椅子の制作は、ほとんどの場合が標準品なので、一度にまとめて複数を制作する。そうすれば、材の使い回しに有利だし、万が一加工ミスで一つがオシャカになっても、残りでしのぐことができる。それに対して、今回のやり直しのように、連続して同じタイプの椅子を作ることは滅多にない。これはある意味で良い機会である。スポーツでも楽器の練習でもそうだが、短い周期で反復することで上達する。これまでに何十脚も作ってきた、言わば自家薬籠中の椅子でも、毎回作るたびに新しい事に気が付き、工夫をする。短期間に反復すると、その改良へのヒントが、より一層明瞭に現れる。今回も、また一つ、明らかに有利な加工法を思いついた。

 さて、この注文品は、ドイツ製の塗料で着色してある。まだ2回目の塗装を終えたところだから、隣の標準品のオイル・フィニッシュとの色の差はあまり顕著ではない。最終的には7回塗装する。塗っては拭き取るという工程を繰り返すので、色の濃さは僅かずつしか深まらない。それでも7回終わると、黒光りするような色合いになる。それを見て、専門家でも「拭き漆仕上げですか?」と間違うことがある。

 着色塗装は、素地の仕上り具合によって、顔料の染み込みに差が現れる。簡単に言えば、サンドペーパーの掛け方にムラが有り、雑な部分が残っていると、そこだけ顔料が多く染み込んで、色が濃くなる。そういう色ムラが出来ると見栄えが悪い。また、荒い番手のサンドペーパーの擦痕が残っていると、筋模様となって現れる。これもみっともない。だから、着色する場合には、素地仕上げを入念にやる必要がある。そこに求められる繊細さは、無着色のオイル・フィニッシュの場合の比ではない。

 十分に周到に素地仕上げを施したつもりでも、一回目の塗装で色ムラが出ることもある。そういう場合は、その部分だけサンドペーパーをかけ直す。時には、塗料が乾いてから、色ムラに気付くこともある。そんな場合も、サンドペーパーで該当部分の塗装を一旦剥がし、素地を露出させて、再度丁寧に仕上げる。そんなことをしたら、追加施工した所と、その周辺部との間で、色の濃さに差が出るのではないかと気になるところだが、この塗料は寛大である。それなりの配慮をもって行えば、気付くほどの差は出ない。



ーー−2/9−ーー 凍結防止帯の節電装置


 我が家の西半分は、西ウィングと呼ばれていて、以前は私の両親の居住スペースに使われていた。いわゆる二世帯住宅で、台所、風呂場、トイレを備え、そこだけで生活できるようになっている。

 その西ウイング、父が亡くなり、母が羽が生えたように東京へ移ってしまってからは、つまりここ二年ほどは、空き室となっている。たまに友人が泊りに来たりするので、電気、ガス、水道は生かしてある。ガス、水道は、我が方(東ウイング)と一本化したので、使わなければ料金は掛らない。ところが電気は、いまだに二系統となっている。その方が電気料金が安いと、電力会社から聞いたからだ。

 使われていない区画の電気代が、バカにならないほど大きい。最近になってそのことが気になった。一年間の電気代を調べてみたら、冬場は異常に高額で、平均すると一ヶ月あたり夏場より5000円ほど多かった。

 建物の中央にあるロビーと呼ばれる大きな部屋は、西ウイングの電源を引いている。その部屋は日常的に使うので、照明などの電力を消費する。また、西の台所にある冷蔵庫も、通電してあるので電力を消費する。主にこの二つが、夏場の電力消費源だろう。では、その上に5000円も掛る冬場の電力は何だろうか。それは凍結防止帯である。

 寒冷地では、冬場に水道管が凍結するのを防ぐために、凍結防止帯と呼ばれる電気ヒーターを水道管に巻く。そのヒーターは、サーモスタットにより、水道管の温度があるレベル以下になると通電するしくみになっている。そのサーモスタットは、おおむね5度でスイッチが入り、10度で切れるようにセットされているらしい。気温が0度にならなければ凍らないはずだから、この温度設定は安全サイドに過ぎるように感じる。しかし、サーモスタットは水道管に接して取り付けられるので、水道管を流れる水の温度を考慮すれば、こういう設定もありかも知れない。

 ところが、だいぶ前から、凍結防止帯は無駄に電力を消費するとの情報が世の中に流れ出した。気温が0度以上で、凍る筈が無い条件でも、電源が入りっぱなしになっているケースが多いというのだ。ひどい場合には、一日24時間、冬場の間ずうっと電気が流れっぱなしになっていることもあるらしい。凍結防止帯の長さが、合計で10メートルもあれば、消費電力は数百ワットになる。それに電気が流れっぱなしでは、一ヶ月に5000円もありうる話だ。

 凍結防止帯が電気代を押し上げるということは、私も以前から聞いていた。しかし、あまり深刻にとらえたことはなかった。それに、仮にそういうことがあったとしても、対策の仕方がわからなかった。それで、二十年近い間放ったらかしになっていた。

 今回、西ウイングの電気代を調べてみて、事態の深刻さが現実になった。その区画は、ほとんど全く水道を使っていないので、水道管は常時外気と同じ温度になっている。屋外配管がある北側の場所は、冬場に気温が10度以上になることは滅多にない。ということは、凍結防止帯に電気が流れっぱなしになっている可能性が高い。

 こんなことを家内に話したら、凍結防止帯の節電装置があるらしいから、ネットで調べてみたらどうかと言った。私は、そのような装置があることを知らなかった。ネットで調べたら、確かに有った。いろいろなメーカーが商品を出しているが、原理は同じようなものだろう。センサーで外気温を検出し、0度前後の微妙なところで電流を制御する。要するにハイテク装置である。電源コンセントと凍結防止帯との間に入れるだけだから、接続は延長コードを繋ぐのと同じくらい簡単。驚いたことには、どのメーカーも歌い文句は「90パーセントの節電」であった。5000円の電気代が、500円になるというのである。

 こんなに簡便で、しかも効果の高い装置が、普通に売られているのだ。さっそく近くのホームセンターへ行って、必要な数量を買ってきた。家一軒分で16000円ほど掛ったが、節約される電気代で、すぐに元が取れるだろう。

 空き室の電気代に端を発した出来事だったが、家全体の節電につながる結末となった。それにしても、十数年に渡って無駄な電気代を払い続けてきたと思うと、我ながら愚かさに腹が立った。



ーー−2/16−ーー 機械あれば機事あり


先日の昼電話があり、男性の声で、「パンフレットで知ったのだが、工房を見させてもらっていいですか?」。このところ忙しくしているので、ちょっと気が進まなかったが、OKした。ひょっとしたら、家具を買ってくれるお客様になるかも知れない。そんな淡い期待を持ちつつ。

 しばらくして、車が到着した。降りたのは私と同年齢くらいの夫婦。工房へ案内したら、入り口でちょっと身構えたような感じだった。中に入って話を聞いたら、松本で建具屋をやっているとのことだった。本業の傍ら、最近は楽しみで小木工品や家具も作っているとのこと。それで家具工房を見学しようということになったが、私の所が初めてだと言った。

 こういう人は、家具を買ってくれる可能性が限りなくゼロに近い。しかし逆に、素生が分かったので話し易くなった。同じ木工をやっているということで、共感を覚える部分もあり、話が弾んだ。なかなか面白い話も聞けた。

 建具屋というと、小さな作業場で障子の桟を組み立てているようなイメージがあるが、この客人の場合は違うようだった。話の断片から判断すると、私の工房の何倍もの広さの工場で、機械の揃え方も大掛りなようである。NCルーター(数値制御による切削加工機械)や、巨大な油圧プレスも使っているとのことだった。建具屋といっても、建築に造り付けの箱物も作るのだろう。

 世の中の景気の悪さには触れなかったから、仕事は順調なのだと思った。しかし、別の意味で不満をもらした。最近の仕事はつまらないと言う。

 昔は建具屋にまかされる部分が多く、個性的な仕事ができた。工務店から品物の概要を伝えられ、その中で案を作り、相談をし、物件に相応しいものを作って納めたと。だから、どの家に行っても同じ建具は無く、それぞれに個性的だったそうである。それが現在では、低コスト、短納期、ノークレームということで縛られる。そのため、決まり切ったモノ、誰が作っても同じようなモノしか作れなくなった。どの家に行っても、同じようなモノばかりで、面白みが無いと。

 そういう仕事だから、注文の入り方も通り一遍で画一的。ファックス1本で「あの品物をこの金額でいつまでに」で済まされてしまう。「言われた事を右から左へやるだけ。まるで勤め人と変わらない」と不満を述べた。

 おまけに、機械化が進み、ラクにはなったが、作る楽しさが無くなったと言う。機械に数値のデータをインプットすれば、自動的に寸分の狂いも無く加工される。便利であるが、腕の見せ所も無い。仕事を始めてから40年になるが、最近の仕事の味気なさを感じるにつれ、若かったころ修行をして身に付けた技術はいったい何だったんだろうと、寂しい気持ちになるそうだ。

 話の途中で私が、もう一つ便利な機械を入れれば、作業能率が上がるのだがと漏らした。すると客人は、「機械化を進めるときりが無い。それに、しょせん機械でしかない。便利なようでも限界がある。そういうのに頼ると、機械に合わせた仕事しかできなくなる。それに、能率良く生産すれば、製品の価格は下がる方向になる。結局、安いモノを多く作るだけの、つまらない仕事になりますよ」と釘を刺した。そして、「大事なのは、レベルの高い仕事、自分にしかできない仕事をやって、それに相応しい報酬を得ることじゃないですか」と言った。図らずも、私は励まされているような気持ちがした。

 荘子の言葉に、「機械あれば必ず機事あり、機事あれば必ず機心あり」というのがある。その言葉を、高校生だった息子が学校の授業で習い、家に帰って私に言って聞かせたことがあった。意味は、「機械があれば、機械に合わせた仕事が生まれ、そういう仕事に合わせる心が生まれる」つまり「人は機械に縛られるようになる」だとか。私はそれを聞いて興味を覚え、紙に書いて工房の壁に貼った。今でもそれは残っている。

 荘子の時代に、機械と呼べるようなものがあったかどうか。現代人から見れば極めて単純素朴なものしか無かったと思う。それでも、警鐘を鳴らす賢人がいたのだ。荘子がタイムマシンに乗って、現代社会にやって来たら何と思うだろうか。ともあれ人間は、便利さを追い求めたらきりがない生き物であることは、間違いないようである。



ーー−2/23−ーー 豆腐屋の心意気


 あるテレビ番組で、レポーターが街の豆腐屋にインタビューをした場面があった。

 「このお仕事のどういうところに気を使っていますか?」との質問に対し、初老の店主は、「豆腐作りはいくらでもごまかしがきくから、真面目に作ることを心掛けています」と答えた。画面がスタジオに戻ると、キャスターは「ごまかしがきくからと言ってましたけれど、ごまかしがきかないからと言うべきところを言い間違えたのでしょう」とフォローした。

 このキャスターの発言では、せっかくの豆腐屋さんの心意気が台無しである。ごまかしがきかない事なら、手抜きのしようがない。ごまかしがきく事だから、手抜きの誘惑に打ち勝つべく、自らを律しなければならない。豆腐屋さんの発言の真意は、そこにあるはずだ。

 これは別の機会に聞いた話だが、豆腐というものは、ある種の添加物を使うと、原液(豆乳)を大幅に薄めても、そこそこのモノができるらしい。品質の違いは、比べてみれば分かるだろうが、消費者はそこまでしないから、薄めた豆腐でも買う。いや、値段が安いから、むしろ喜んで買ったりする。しかし、昔の豆腐、混じり気無しのホンモノの豆腐の味を知る者からみれば、そんなものはインチキであり、作ってはいけないということだろう。

 余談だが、家内の祖父は、昔豆腐屋をやっていた。美味しいと評判が良くて、商売は繁盛していたそうである。それが、戦後になって品質の良い大豆が手に入らなくなると、あっさりと店をたたんでしまった。不味い豆腐を作って売ることに、耐えられなかったからである。おそらくどこの豆腐屋も同じ状況だったろうが。

 冒頭のエピソードに登場した豆腐屋さんの発言は、ちょっと逆説的な言い回しではある。その気難しい雰囲気がまた面白い。気難しさ、頑固さが無ければ、自分が正しいと信じるやり方を守り通すことはできないのかも知れない。ともあれ、たとえ買い手が文句を言わなくても、それどころか買い手が安いと喜んでも、手抜き商品は作らないという、職人の毅然とした姿勢が現れていて、小気味が良かった。





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